ANA国内線【PR】
『エゴン』断章
「エゴン」の時代には、すでに写真機があった。
その頃、被写体が身動きすることは厄介なことだった。彼らの表情は一様にかたく、この時代、かれらはまるで笑うことがなかったのではないかと想像されるほどだ。水兵服の少年もベルベットの服の初老の婦人もにこりともしないまま死んでゆく(あるいはまだ生きているかもれないが、それはすでに仕様のないことだ)。
しかし、その少し前から「エゴン」の仕事はなくなりつつあった。肖像画家であった「エゴン」は、肥満した地主や、服の黄ばんだレースを真っ白に描き直してほしいと頼む男爵夫人や、老いた猫を抱いた娘を描いた。妹をソファに横たわらせ、靴下を履いたままの脚を開かせた。もっとも近しいモデルだった初めの妻は失ったが、二番目の妻の姿を何枚もスケッチした。硝子玉のような目の、彼女はいくぶんか人形に似た。
「エゴン」にはそのころ流行りだしていた「音楽」も「夢」も描けなかった。貧民窟を描き、そこに「絶望」だとか「貧困」だとか「不平等」といった意味を加えることもできなかった。つまり彼は「貧しい人々」を描いたが「貧しさ」は描けなかった。「恋人たち」は描けても「愛」は描けなかった。
「エゴン」は描き続けた。そのころすっかり彼に絵を依頼するものはなくなっていた。「エゴン」は食べられなくなって痩せてしまった自分の腕を描き、ついで何日も洗わない髪を戴いた頭部を描いた。落ち窪んだ目を描けば、時間をかけ衰えた分だけ、さらに眼窩は黒ずんで艶をなくした。
力を失っていると思いこんでいたくせに、ふとした拍子に(洗濯女の足の裏、木――そう、まさに木だ、なんということだろう――、覆いをのけた寝台に染み付いた血)目に入ったものが幾度も「エゴン」に絵筆を取らせた。鮮やかな残像は、それを画布に写し取らなければなんの価値も持ちえない。そうでなければ、すでにもう絵など失われていいのだ。もし、あの印画紙に、それを完璧に焼き付けることができたなら、絵画という分野はさっさと墓場へ行くがいい。時折誰かがそれに花を手向けてくれることだけを心待ちにするがいい。
しかし「エゴン」はこの考えが現実のこととなりえないのを知った。「エゴン」の見たことのある写真は、まず、どれもこれも不完全に思えた。ついで、これがまったく現実などを写しえないことに気づく。これは新たな虚構だ。この機械はじきに、その副産物を目的として進化していくだろう。絵画が陥っているのと同じ、成熟と倦怠の苦しみを、味わうことになるだろう。第一、あの印画紙は刻一刻と酸化し、古びていくではないか。

師は優れた画家だった。同時にディレッタントだった。師は美のために死ねるだろう。彼は彼の信じた何かに殉ずるということ、そのうまみを確かめうるだろう。
「エゴン」は自分が天才であることを疑わない。それだけはまったく、確かなことだ。けれどそれを世界の中で確かめるすべを知らない。彼に選びうるのは、衰弱死のほかない。誰かが彼を殺してくれるだろうという、あたたかでしたたかな希望すら、ない。
なぜか? ――彼の持つのは、ひとつの絵筆、ひとつの体、ひとつの魂であるから。
# by tricot2125 | 2005-11-07 03:48 | テイルあるいはフラグメンツ
カルシウム・ナイト・ライト

 疲れた。――わたしたちはずっと疲れていたのだ。
 もろもろの、経験よりも、ずっとはやくに。〈3.12〉


 考えること、を今の今まで、わたしは放棄していた。
 「彼女ら」によれば考えることはダサかった。何かを感じることですら不純なものを体にとりこむようで嫌だった。「何も感じ得なかったために罰さ」れるよりも、「彼女ら」はわたしにそそのかした。何も感じないでおくこと。純度の高い固体のように。そうして待つこと。けれどそれは敗北感から(あきらかに)くる感情――これですら。はは! ――でしかなかった。
 わたしのルールのための前置きはあまりにも長すぎて、物語ははじまる前にゲーム・オーバーをむかえるだろう。死なないために。〈3.21〉


こんなことばを読まされる人たちは、つかれるだろうな、と思う。
わたしは、これを書くことで少し楽になり、読み返すことでもう一度気持ちよさを味わう。
そんな文章しか書けないのは、お嬢ちゃんか、おおばかやろうか、あるいは優越感と劣等感とを日々秤にかけているひとだけだ。


ささいなことを書くのは好きだ。たとえば赤い髪留めについて書くとか。それこそ、先だって書いた、部屋に散らばる細部たちについて書くとか。それらは美しい。はっきし言ってチャーミング。そうして、本当に心地よいのだ。

おろかなのは、そこに世界全部を対応させようとする試みでした。


【短歌シャーロック・ホームズ】

「軍医だろう」ああ! ああ! なんという推理アフガニスタンはかくにも遠し

ホームズが複数形となりし夏アスピリン処方するワトソンであるか

追えワトソン「君」づけで呼ぶホームズは「イ」と「ウ」のあいだの母音探して

コカインもマリファナも倦み日々夢むモリアーティーなる大きな蝶を



# by tricot2125 | 2005-11-02 03:25 | 自慰とリハビリ
弛緩した屍姦なんておもしろくもないけれど、まあほんとうのこと。
VO5のヘアスプレイ。
CHAT NOIRのポスタア。
海外盤岩井俊二『スワロウ・テイル』のDVD。
岡崎京子『愛の生活』。
生協で買ったクリップ。
『山猫理髪店』の半券。
ピンクのちっちゃいはさみ。
イヤリングかたほう。
フロッピィ・ディスク(使えるのかな?)。
ワンデーアキュビューを買ったら当たったパスポオト・ケエス。
おとつい買った服のタグ(山羊の絵がかわいい)。
引っ越す前に通ってたレンタルビデオ屋のメンバアズカアド。
ジーニアス。
ウィルキンソンのジンジャーエールの空瓶。
履歴書。
「ドラえもん」のマグカップ。
シャンタル・トーマスの香水の箱(すてきな、げろをはきそうなにおい)。
ロスコーの日記帳。
高橋和巳の『堕落』。
眠る人。

窓は開いていて、カアテンだけは閉めてある。
大きな道路からは離れているけれど、やっぱり車の音が聞こえる。
今日はいい天気だってメールがきたけれど返信していない。
そのうちに少しずつ日は暮れていく。
図書館に返していない本がまだ五冊くらいある。

わたしは今のところ「ネクロフィリア」ではない。
現在の状況でいうと、どちらかといえば「屍」よりもむしろ「姦」のほうに興味がないためだ。

(ほんとうは、こういうモノローグは嫌い)。

よく生きてアントン箱に詰めましょうねあと靴下と骨なにやかや

# by tricot2125 | 2005-10-28 15:58 | 生きてたみたい。
デイリイ・デイリイ
いままでどこにいたの、と訊かれて困ったのでわたしはジャンヌさんのところに行っていました、と答えました。
嘘ではないです。ジャンヌさんのところに行ったのは本当です。
フラウMは安心したように、ヴァイオリンを聴きに行ってたのね? と言ったので、わたしはにっこりして答えました。
そうです、オカーサン。


フラウM、ここから、

美しきロスマリン
チャイコフスキーのなんとかという曲
オルガー・ギュンプの「受胎」
タイスの瞑想曲

「オーダーは?」
これが、今日のメニューでした。ジャンヌさんは気まぐれなので、メニュー通りの料理がでることはめったにありません。今日も、「受胎」の第二主題をフォルテシモで二度繰り返した後、弓を下ろしてしまいました。
「絵を観に行きたい」
突然、ジャンヌさんは言いました。
「どんな絵」
「『流れ』っていう絵」
知らない絵でした。でもジャンヌさんがいままでに言った曲や絵や本のタイトルで、わたしが知っていたものなんてほとんどありませんでした。だからわたしは頑張って、「交響曲第六番悲愴」も、「カイザーとマリアのための組曲眠れるツィゴイネル」も、「ヘテカントロピュスの沐浴をのぞくニンフ(ニンフの沐浴をのぞくヘテカントロピュス、だったかなあ)」も、「ネブカドネザルの大博覧宇宙学」も、「パタリロ西遊記」も、覚えました。でもねジャンヌさん、
ほんとうにそんなものがあるのですか。

「流れ」という絵は、ほんとうにありました。けれどその絵は、ベルギーにあるのでした。わたしたちは、二十分間考えて、どうやら明日の朝までにベルギーに行って絵を見て、ビールを飲んで帰ってくるのはどちらかというと不可能に近いのではないか、と結論を出し、あきらめて焼酎を飲みました。焼酎はジャンヌさんの部屋に大きな瓶に入って十本ほど、置いてありました。梅酒とかカリン酒とかまむし酒とかを、漬けるために買ってあるのでした。
「これがまむし」
ジャンヌさんは三十×三十×十くらいの金属の籠に入れたまむしを、見せてくれました。 どこで買ったんですか。もらったの。だれが? わたしが。まちがえた、だれに? 
「そんな野暮なこと訊くものじゃないわ」

ここまでが、ジャンヌさんのところ、の話です。親愛なるフラウM。
# by tricot2125 | 2005-10-25 01:08 | テイルあるいはフラグメンツ
リハビリテイション・マスタアベイション
(たぶん仮病なんだけれど)、この三年間失語症におちいっていた。文章を書くことは(おそらく)苦痛でしかなかったし、言葉を口に出してしゃべろうとすると、言いようのない(それはそうだ)喪失感に襲われて、顔を見るのも恥ずかしかった。
別役実の「そよそよ族の叛乱」では、そよそよ族という人たちは「おなかがすいても、おなかがすいたって言え」ず、「おなかのすいたことを知らせるためには、餓死してみせなくてはいけない」のだけれど、その民族はとうに滅びてしまった。わたしたちはけたたましく話し続けなければならないのだ。しゃべらない、ということは、そこに存在しないことと同じだから。

というわけで、文躰練習。
ほかのひとにとっては、自慰行為にしか見えないだろうけれど、ベットのふちをおぼつかない指でつかむことから。

話すことのためのリハビリは、まだはじめていない。とりあえずは鸚鵡でも買いに行こうか。

コンニチハいやコンチハたえまなる指・指 鳥籠日和か
# by tricot2125 | 2005-10-25 00:38 | 自慰とリハビリ
Белая Россия
わたしの語彙はなんだかこれから死ぬまでに増えそうにないなあ。

わたしの趣味は「短歌」で特技は「ラッピング」。
……らしい。
どうせ嘘をつくならセンスのよい嘘をつこう。見栄をはるなら粋な見栄を。
そう、思って、選んだのがこれらだった。

趣味の欄に読書と書くことはもはや矜持が許さぬ。
本読みはわたしの揺籃であった。
今は……そうね、とても好きなことだけれどね。

ラッピングはともかく、風呂敷で一升瓶や西瓜が包めるようになりたい。


昨日はひさしぶりな友達(とその知り合い)と飲みに行った。寝坊したけれど。
着いたらすでに頼んであったサラダからはトマトが取り除かれ、「……いろいろと」と濁した遅刻の理由は一発で「寝坊でしょ」と見抜かれた。ありがたいことである。だてに小学校から付き合っていない。

わたしのバイト先のバーでお酒を。カウンターに座るのはちと変な気分だ。それにしても五人って。うなぎの寝床のようで、頭と尻尾は話すらできなかったさ。初対面の男の子は学校が同じでした。マジか(←彼の口癖)

その後解散。方向が同じだったその男の子と大学近く(というほどでもない)のええ感じにくたびれた飲み屋さんで一杯やって帰りました。なんだそりゃ。

 いつまでもそんなこと、ってメンソール殖えぬボキャブラリィ四月馬鹿の日


http://www7.ocn.ne.jp/~maxie/index.htm
# by tricot2125 | 2005-04-01 15:47 | 生きてたみたい。
フェルディナンドのこと
好きな本はナンドでも読む。
明らかに、筋はわかっているし、よっぽど久しぶりに読む本でない限りは、「ページを繰る手がとまらない」どきどきもない。
小さなこどもが肌身はなさず決まったタオルやぬいぐるみを持っている、そんな気分に似ている。皮膚を刺激しない、それがそこにただいつもの姿であることでおちつく。

人生が変わるような衝撃、じりじりと焦燥するように結末にむかっていくあの感じ、どうしたってこんなふうには書けないという悔しさ、そうして本を読んで泣くこと。

どれも読書の醍醐味ではある。けれど、どこから読み始めても読み終えても、途中で寝ちゃったってかまわない、いつでもそこに帰っていける、それも読むことのひとつの形だ。

好きな本はナンドでも読む。小学生のときからそうだった。気に入った本は二度でも三度でも借りた。本についている図書カードには、前に借りた人がいつ、借りたのか、鉛筆で書いてある。……五年間、この本は、誰にも読まれずにここにあったのか。
「すばらしいフェルディナンド」「おきなさいフェルディナンド」は間違いなく、小学生のときにいちばん多く借りた本だ。
初めて借りたのが二年生のとき、それから年に一度は借りていた記憶がある(ありゃ、うちの学校は本を借りたら『読書感想文』なるものを書かなければならなかったんだっけ。もちろんそんなに文字数はなかったはずだけど。日記を二週間分ためて居残りさせられること多々のわたしはそんなものをまめに書いていたのだっけ。そうして、同じ本についてはどんなふうに書いていたんだろう)。
どんなに好きで借り出しても、その本は図書館の本だった。こんな古びた本、田舎の本屋さんで売ってるのを見たことない(奥付を見て、発行年を知り、地方の本屋は新刊中心であることくらいは知っていたんだろう)。やっぱりこれ、返さなくちゃいかんよね、みんなの本だもんさね(そんなこと信じてはいなかったけれど)。

フェルディナンド・ゴリッパー(犬)。二本足で立ち、立派な服を着て、ホテルに泊まればエレベーターは空へ飛び、歯医者に行き、猟に行き(お弁当がおいしそうなんだ)、傘を作る。「すぱらしい~」の雨の場面は、楽しくて、そして雨のアンニュイさと眠気をわたしに覚えこませた。

先日、近所の区立図書館の児童書のフロアーで、わたしはフェルディナンドに再会した。思っていたより字は大きく少なく、それなのにあんなにわたしにとって価値を持っていたのだからすごい。挿絵の、寝ぼけたような犬の目も懐かしい。
そこは子供が靴を脱いであがり、カーペットに座り込んで本を読んでいた。なんとなく湿っていて、よだれの匂いがした。

すばらしいフェルディナンド | Excite エキサイト ブックス > 書籍情報
# by tricot2125 | 2004-08-19 02:07 | よんだほん
だってそれでも21世紀だもん
短歌の人、穂村弘さんのにさつめのエッセイ集は「もうおうちへかえりましょう」。カプセルホテルの写真に蛍光ピンクで、ぜんぶひらがなで。
(ちなみに、この蛍光ピンクというやつにわたしは弱い。蛍光の、イエローもグリーンもオレンジも嫌いだけれど、たとえばモノクロームの画面とかに、この蛍光ピンク、の組み合わせはどきっとするねい)

前の、「世界音痴」、何回も読んだ。とても懐かしい気がした。言いたくてもいえない、だってそのことを言うこと自体がこの世界にとって間違っているかもしれないからさ。そして、この本にもその感覚は息づいている。

あのう、ここには、なにかルールがありますよね?
わたしだけが知らない不文律が、あるんじゃないでしょうか?

誰かにしかられたり、道で転んだりすることは、そのルールを知らず、うまくやらなかったがために、自分が世界と引き起こした摩擦、傷なのだ。エッセイの中でほむらさんが、いみじくも傷心・疲弊の古本屋遍歴を「造物主」のしわざだとカクシンしてみせたみたいに。

最後に、あとがきによせて。
はい、そんな寮、わたしも暮らしたいですってば。


暑い曇り。蝉、うるさい。夜中に蛙が鳴くと、携帯のバイブレイションかと思ってはっとする。
帰省中。
# by tricot2125 | 2004-08-14 13:16 | よんだほん
< 前のページ 次のページ >
トップ

ぐうたら読書日記、など
by tricot2125
最新のコメント
芸能人のマル秘DVDなら..
by オシエモン at 07:43
とりのすや(自己紹介)
~好きなもの~
安部公房 芋焼酎 ウィーン エディット・ピアフ オーバーニーのハイソックス グスタフ・クリムト 砂鉄 シュルツ(ブルーノ) セルジュ・ゲンスブール チーズかまぼこ トッポ・ジージョ 中井英夫 猫 バーバパパ 久生十蘭 フィッシュマンズ 別役実 マチュー・ボガード 森雅裕 矢作俊彦 ゆで卵 ラフロイグ レッド・ツェッペリン(疲れたので順次追加)
~好きなこと~
タンバリン演奏がすきです。でももっとすきなこともあっていいと思うんだけど。煙草の空き箱集めとか。

9月26日生
ライフログ
検索
おすすめキーワード(PR)
ファン
XML | ATOM

skin by excite